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2019年 05月 22日

御朱印帳

2017.7.22-25
中尊寺の御朱印
 御朱印帳について

見開きになる御朱印帳、
カバーは金色堂の黄色のデザイン。
紺地に金色の金銅華鬘〔国宝〕の図柄が目をひく
特徴のある御朱印帳になっています。

金銅華鬘
金色堂にかけられていた銅製鍍金の華鬘。華鬘とは花輪のこと。
団扇形の内側には極楽に咲くといわれる宝相華を透かし彫りにし、
中央に総角結びのかざり紐、
左右には極楽に飛ぶ人面鳥・迦陵頻伽を彫り起こし、
浄土世界を演出している。

また金色堂で購入すれば、
見開き一頁の御朱印が頂けます。
中尊寺境内には10種類以上の御朱印があり、
御朱印集めだけでも、素敵な場所となっています。

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# by eki06 | 2019-05-22 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2019年 05月 08日

金色堂

2017.7.22-25
藤原三代が眠る中尊寺金色堂へ
【岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202】
参道入口から徒歩15分

金色堂は中尊寺創建当初の
そのままの姿の建造物で、古の栄華を伝えてくれます。
天治元年(1124)
奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。
金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、
夜光貝を用いた螺鈿細工で、象牙や宝石によって飾られています。
須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に
観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、
増長天を従えており、他に例のない仏像構成となっています。

初代清衡公をはじめとして、
毛越寺を造営した二代基衡公、
源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、
そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、
孔雀のあしらわれた須弥檀のなかに今も安置されています。

義経画像[中尊寺金色院蔵]
弁慶画像[中尊寺金色院蔵]
松尾芭蕉「五月雨の 降り残してや 光堂」

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# by eki06 | 2019-05-08 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2019年 04月 24日

中尊寺本堂

2017.7.22-25
義経、平泉の歴史が残る中尊寺本堂へ
【岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202】
JR平泉駅から中尊寺月見坂入口まで 1.6km(徒歩25分)

中尊寺の本堂は境内の中心となる堂塔のひとつで、
明治42年(1909)に再建されました。
平成23年(2011)平泉が第35回世界遺産委員会において、
世界遺産への登録が決定。
平成25年(2013)、初代清衡公が中尊寺造営の折「丈六皆金色の釈迦如来」を、
中尊寺のご本尊に安置したことにならい、
釈迦如来坐・丈六仏像が建立されました。
また堂内には義経の軌跡、
平泉の歴史が解説されていますのでお見逃しないように。

平泉における義経年表
長治2年(1105)清衡、中尊寺山造営に着手。
保安3年(1122)中尊寺経蔵完成。秀衡生まれる。
天治元年(1124)中尊寺金色堂完成。
久寿2年(1155)泰衡生まれる。基衡、この頃までに毛越寺を建立する。
承安4年(1174)義経、鞍馬寺を出奔し平泉に着く。
文治3年(1187)義経平泉に入る。10月、秀衡死去。
文治5年(1189)義経、泰衡に攻められ自害。鎌倉の軍勢により、奥州藤原氏滅亡。
天和3年(1683)伊達綱村、高館に義経堂を建立。

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# by eki06 | 2019-04-24 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2019年 04月 10日

東物見

2017.7.22-25
弁慶最期の地が展望できる、東物見へ
【岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202】
JR平泉駅から中尊寺月見坂入口まで 1.6km(徒歩25分)

旅も再び中尊寺に入ります。
今回は前回見逃した場所も含め、
ゆったりと平泉の地を楽しむ事ができました。

中尊寺の境内にある東物見
中尊寺境内入口から月見坂を進むと、右側中腹に東物見台があります。

衣川と北上川の合流地点の中州が見え、
弁慶が立往生し最期を遂げたとされています。
現在の立往生した地は災害などで
川の形が変わってしまい、特定は難しくなっているとのことです。

ここからは、四季折々の平泉の景観を楽しむ事ができます。
きゝもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かゝるべしとは  西行

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# by eki06 | 2019-04-10 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2019年 03月 27日

接待館遺跡

2017.7.22-25
義経最期の地といわれる、接待館遺跡へ
【岩手県奥州市衣川大字下衣川字七日市場】
平泉駅から車で5分。
駐車場あり。

中尊寺の東南方向の北上川に面した丘陵にある。
衣川の北岸に位置し、
12世紀後半の掘立柱建物跡42棟、
土坑跡、溝跡、堀跡、土塁跡、竪穴式住居跡、
大量のかわらけ等が出土している。

接待館の名称は、ここを居館とした基衡の妻が、
仏法への帰依が深く、
関道を往来する旅人を接待したり、
施しを与えたので接待館と呼ばれたと伝承されている。

この遺跡が柳之御所遺跡に匹敵する大きさの堀と土塁に囲まれた居館であり、
儀式・儀礼がさかんに行われていた。
このことから遺跡は奥州藤原氏の祖先である安倍氏の政庁跡と推測されている。
また、接待館遺跡をはじめとした4遺跡から、
十二世紀奥州藤原氏の時代の遺構が広範囲に見つかっており、
衣川の北側にも平泉の市街地が広がっていたことが明らかになった。
このことから三代目秀衡の母の居館で、平泉府の迎賓館であったと推測されている。

発掘成果から、源義経が自害した藤原基成の屋敷、
源義経最期の地「衣川館跡」とされている場所である。

『吾妻鏡』によれば、
藤原秀衡を頼って奥州に落ち延びた義経主従は、
秀衡の死後の文治5年(1189)閏4月30日、
居館にいたところを第四代当主の藤原泰衡に急襲され、最期を遂げた。
その居館が、この衣川館であると古くから考えられてきた。

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# by eki06 | 2019-03-27 21:00 | 旅行 | Comments(0)