2018年 12月 12日

万代館

2017.7.22-25
義経ゆかりの地、万代館へ
【宮城県栗原市栗駒沼倉古館】
東北自動車道若柳金成IC下車、栗駒方面へ県道4号~国道457号経由約30分。
または、くりはら田園鉄栗駒駅から車で10分、徒歩15分。

義経と親交のあった栗駒沼倉の領主、
沼倉小次郎高次の別館。
高次は義経公自害後、遺骨を万代館の南方の高台、
判官森に埋葬したという。
標柱の場所 緯度38.878648 経度140.952576
こちらも、栗原市教育委員会文化財保護課に確認しています。

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# by eki06 | 2018-12-12 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2018年 12月 05日

義経鞭桜

2017.7.22-25
判官森入り口前の道路向かいの義経・静の桜へ
【宮城県栗原市栗駒松倉貴船】
くりはら田園鉄栗駒駅から車で10分。

判官森の向かいの田圃の中、
栗原市栗駒松倉貴船の郵便局前にある義経・静の桜。
義経公がこの地を訪れた際、
馬の鞭として使っていた枝を地面に挿したら、
そこに根付いたと言う伝承の桜。

義経鞭桜の隣にある桜は、静桜と呼ばれています。

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# by eki06 | 2018-12-05 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2018年 11月 28日

判官森

2017.7.22-25
義経が眠る、判官森へ
【宮城県栗原市栗駒沼倉黒滝2】
東北自動車道若柳金成IC下車、栗駒方面へ県道4号~国道457号経由約30分。
または、くりはら田園鉄栗駒駅から車で10分、徒歩15分。

栗原市栗駒の栗駒幼稚園の裏にある二つの山は、
「判官森」、「弁慶森」と呼ばれ、
義経公縁りの沼倉小次郎高次という武士が、
居を構えていた場所といわれている。
五間四面の土塚を築き、その上に古色蒼然として、
数百年を経たと思われる五輪の塔と石碑がある。
これは沼倉小次郎高次が、義経自刃後遺骸をこの地に葬り、
墓碑と五輪の塔を建てて弔ったと伝えられている。
平成11年(1999)の「義経810年忌」に、
神奈川県藤沢市に祀られていた首塚と胴塚が合祀された。

幼稚園の体育館裏手の入り口に案内板があります。
片道15分程度掛かり、弁慶森はその先になります。
また判官森に行くまでは、若干の斜面を登ることになります。
義経が眠るとされるこの地は、静寂と共に義経の息吹を感じられます。

※栗駒幼稚園は以前の栗駒小学校であって、現在の栗駒小学校の場所は
移転していますので、違う場所となりますのでご注意下さい。

(左)弁慶森、(右)判官森
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中央を進むと判官森、(右)体育館
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土手沿いを左へ進むと判官森へ
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鞍馬山杉
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mapは道路側の入り口




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# by eki06 | 2018-11-28 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2018年 11月 21日

源義経公奥都城

2017.7.22-25
判官森を前に、近辺の義経ゆかりの地へ
【宮城県栗原市栗駒沼倉河子田58】
東北自動車道若柳金成IC下車、栗駒方面へ県道4号~国道457号経由約30分。

栗っこ農業協同組合栗駒ふれあい店に、
義経生誕祭、義経を祀る碑がある事がわかり訪れました。

「神奈川県藤沢市の源義経公御分霊を迎霊し
判官森御葬礼所の源義経公御分霊と合せ祀る
平成十一年七月二十五日 迎霊先達 建立」
と碑の裏側に記載。

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# by eki06 | 2018-11-21 21:00 | 旅行 | Comments(0)
2018年 11月 14日

杉目太郎行信供養碑

2017.7.22-25
義経の影武者、
 杉目太郎行信ゆかりの供養碑(津久毛橋城跡)へ
【宮城県栗原市金成津久毛橋城跡】
くりこま高原駅から車で19分。
入口から供養碑までは、徒歩15分程度で着きます。

源義経の身代わり 杉目太郎行信公の碑
源義経は、幼名は牛若丸。
七才で鞍馬寺に入り文武を修行し、
陸奥の藤原秀衡のもとに身を寄せていたが、兄頼朝の挙兵に応じて参戦し、
平家を一の谷・屋島・壇ノ浦に破って全滅させた。
その後、兄頼朝の許可なく朝廷から官位を受けたとして、仲違いし諸国を放浪した。
再び藤原秀衡の懐に身を隠したが、
秀衡の死後頼朝の圧力に屈した秀衡の子・泰衡によって衣川の高館(衣川館)を急襲され、
文治五年(1189)閏四月三十日、
義経は三十一才の若さで非業の最期を遂げた。
と吾妻鏡は伝える。

しかし、歴史から消えたはずの義経に関して
「衣川館で自刃したのは義経の影武者であり、
義経はその一年前に郎党を伴って北の大地を目指した。」
義経は死ななかったという伝説が語られている。

義経を北へと落ちさせ衣川で自害した影武者は、
磐城杉妻城主の杉目太郎行信であったという。
義経北行伝説の立役者杉目太郎行信の遺徳を偲ぶ、
全国でただ一ヶ所の供養碑である。

平成二十八年八月吉日 津久毛橋城址杉目太郎行信公奉賛会


『見替杉目太郎行信碑について』
杉目太郎行信の墓(供養碑)には正面中央に
「源祖義経神霊身替杉目太郎行信」
右へ「古塔泰衡霊場」左へ「西塔弁慶衆徒霊文治5年4月30日」
と記されている。
また裏側には中央に清衡之霊、大治元年7月10日。
右へ「基衡之霊、保元2年3月19日」左に「秀衡之霊、文治3年12月28日」

さらに側面には義経辞世の歌
「後の世もまた後の世もめぐりあえ そむ紫の雲の上まで」と、
弁慶の辞世の歌
「六道のみちのちまたに待てよ君、おくれ先だつならいありとも」と刻まれている。

身替り杉目碑の背後に判読困難な自然石の古碑がある。
中央に梵字、その下に正應(1288ー93)6年2月20日
右行に石刀現宿、左に皈眞密方と刻まれていることがみとめられた。

古碑の建立者より身分や社会的な功績があり地位の高い方のために古碑を建てた供養碑になり、
「永遠のために自刃し、現に安らかになる」あるいは
「石のごとき強き意思で自刃し、その意思は死後も宿る」の意味にとれる。
壮烈なまでの執念を感じ、義経のために身替りになって自害した
杉目太郎行信の法号に最もふさわしいものになっている。

今回の旅は、小雨が降り続いていたのですが
この小高い城跡についたときは、幸運にも雨は止んでくれました。
日本全国義経の史跡は数多くありますが、
杉目太郎の史跡は欠かす事はできません。
念願叶い訪れる事が出来ました。

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# by eki06 | 2018-11-14 21:00 | 旅行 | Comments(0)